Kuso & Diary

クソエブリディをクソエンジョイするクソ女のクソダイアリー

クソの掃溜めをいくつも作っている

 

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 5つか6つぐらいの頃、我が家にWindows98なるパソコンがやってきた。

 

 新品で購入した物だったのか、中古のものだったのか、貰いものだったのか、パーツを寄せ集めて作ったのか。どういう経緯で入手したものなのかは聞いたことはなかったので知らないが、ある日家に帰ると居間の隅に腰を下ろしていたのである。誰だお前は。

 

 今でこそスマートフォンに触れ合うようになり、掲示板で知り合った素性もよく分からない人間にツムツムのハートを送り続ける母(50歳)ではあるが、12年前の当時 このパソコンを使いこなせていたのだろうか。少なくとも幼少期の私の目にはパソコンと触れ合う姿というものは映っていなかったように思う。

 しかし、そんな母とは対照的に分厚いディスプレイを凝視しながら向き合う男が一人。昭和をそのまま切り取ったような頑固者の雷親父は、母より機械に滅法疎く 付属している説明書にまず目を通さない。思うように動かない機械は故障と疑ってかかる典型的な機械音痴の父を、夕飯時の「ご飯できたよ」の一声にすら風林火山と化してしまう程に夢中にさせていたのは一体何か。特段勿体ぶる様なものでもない。フリーゲームです。

 

 Windowsのスタートボタンをクリックするとフォルダやソフトの一覧がズラリと並ぶ中に、メモ帳やペイントなどが入ったアクセサリフォルダ。そこに潜んでいるフリーソフトに父は虜になっていた。ゾウやリスが出て来るエアーホッケーのゲームなんかはきっと覚えている人がいるのではないだろうか。( 今でも遊べるよ )

 こんなマウスを激しく動かすものは当時の父にも今の父にも到底遊べない代物である。専ら花札かボーリング。焼酎の水割りをデスクに置いて煙草を深く吸いながらカチッカチッと遊び込む姿は何というかメッチャ渋くてメッチャ大人であった。そして、最初こそアウェー過ぎる家電としての認知しかなかったパソコンに 全く興味を示さなかった私は、父によってゲームが出来る機械なのだと気付かされ「何だよお前 スゲーいいやつじゃん」となってしまったのだ。チョロい、チョロいぞ。

 

  Windows98が家にやって来るより少し前に、父の知り合いからゲームボーイスーパーファミコンのおさがりを貰っていた私は、「外遊び」より「ゲーム」が右上がりになりつつある不健康予備軍のキッズなゲーマーとしての道を着実に歩んでいた。

 元より女子脳より男子脳が活発だったので、冒険やバトルの類なんかにビシーッと来るものがあったのかもしれない。ちなみに 小学2年生の頃には、集英社週刊少年ジャンプで連載されていた「シャーマンキング」の9巻を表紙買いする事態にまで至っている。今考えると男子脳というよりは少し早い女オタク脳の開花でした。 

 

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 余談だが、当時の私は現代語で言う所の道蓮(タオ・レン)くん推しだった。「道」という字を「タオ」と認知するぐらいには推していた。ただ、9巻だけ買ってしまって話の前後が分からないという気持ちが強く、理解力も乏しかったのでとにかくストーリーが入ってこない。でもおもしろい。でもかっここい。気になる。といった結果、毎月1冊ずつ 8巻 7巻 6巻...と古いものを購入していく「逆走買い」というものがこの頃から発症している。この読み方のせいで未だに1巻から9巻のストーリー展開の流れなどがひどく曖昧だが、体からウジが沸いている「拷問兄弟」というキョンシーは今でも鮮明に覚えている。それにしても毛利小五郎の娘を彷彿とさせる髪型だね。

 

 だからパソコンに興味を持ったという話に繋がるのか何なのか。とにかくこの様に色んなものに向けていた好奇心を私はパソコンという未知なる機械に一斉射撃した。誰に教えてもらうわけでもなく、ドラックやダブルクリックといったマウスの操作方法やソフトの開き方、閉じ方、メモ帳を起動して文字の打ち方を練習してみたり、ペイントとフリーゲームで就寝までの時間を過ごすようになる。キーボードの上にイレギュラーに散らばるひらがなの一字一字を目と指で追う時間は、文字を書くよりも楽しい。そして同時に、インターネットというものが使えることを知るのはすぐのことだった。

  「検索」といった言葉が何と読むのか 何を意味しているのかなど分からなかったが、何となく好きなキャラクターの名前やゲームのタイトルを打ち込んでみれば、ディスプレイに広がるのはその言葉通りの画像と情報の花畑。まさに「おったまげーーー!」という感じ。インターネットすごい。とってもグローバル。任天堂のホームページでゲームの紹介を読んだり 画像を見漁ったり 「ぱんぞう屋」というサイトでゲームを遊び尽くす毎日。

 

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  インターネット分化というものも進化が早く、子ども心を虜にしてしまうようなものが出るわ出るわ。まだYouTubeニコニコ動画もない時代だったが、フラッシュ動画と呼ばれるものが大きなムードメントを起こしていた。大人になると「何がおもしろかったんだ」と思うものも多いけれど、小さい時はお腹抱えてゲラゲラ笑ったものである。FLASH黄金時代だからね 仕方ないね。ゲラリストなので今でも笑える。

 

 

 今でこそホラーとビックリの類が大の苦手だが、この頃は怖いもの知らずなのかホラーフラッシュを見尽す奇行をやって遂げる女だった。中でも「赤い部屋」なんかはインターネットに基づいたストーリーだったのもあり、ポップアップ広告というリアリティが恐怖を掻き立て来るのでとにかくメッチャおっかない。最後に本当に「あなたは好きですかと出た時なんかは「消したら死ぬかも」なんてマジで思ったりもした。

 これを頼んでもいないのにリアルに再現してくれる「赤い部屋 完全版」というものもあって、広告を消すと作中同様死んだ人間の名前がズラーーーッと出る忠実な仕様。ブラウザを閉じるバツボタンもないので「これどうやって消えんのかな・・・」と不安に駆られていると、不意に画面いっぱいに怖い女の人の画像が表示されるという小学生殺しにかなり涙したものである。

 この日「Ctrl」+「Alt」+「Delete」の3つのキーが救ってくれたことをきっかけに、私は強制終了という技を会得した。

 

 

 楽しいものに触れたり 怖い経験を重ねながらネット文化に慣れ親しむにつれて、私は次第に「情報の発信」というものに興味を持ち始めた。アイタタなポエムをノートに散らしたり、アイタタなイラストマンガを100均ノートに描くアイタタ小学生だった私は、とにかく「これを誰かに見せなきゃ」と思っていたのだ。誰にだよ。しかしそこはインターネット。アイタタな人間がアイタタな産物を発信して何が悪いのか。現にアイタタな大人たちがアイタタな作品を展示していた。 「 みんな投稿しているから私も・・・」見よう見まねで無料ホームページを開設してみるとそこは思いの外未知の領域。なにこれ。簡単に作れるって書いてたじゃねえか。理想とはかけ離れた初期ページに戸惑いを隠し切れないが、情報の発信という欲が私を高める。幼いながらにHTMLを調べながら頑張って作ってみたが、出来上がったのは

 

✝貴女は○○人目の天の使い✝

 

中二病がフルアクセルなアクセスカウンタのついたアイタタホームページだった。背景は黒色リアルタッチで描かれた神々しい羽のイラスト( サイトが貸し出しているフリー背景素材 ) が散りばめられている。サイトには同じくきらびやかに光った十字架や真珠の画像が点々としており、プロフィールの性別表記には「性別上は女子」というアイタタ女子がやってしまう地味~~~に痛寒い一言もバッチリ添えてあった。サイズの間違ったリンクバナーも作ってあったし、もちろん羽も散っている。それはさっきから何の羽毛なのか。天の使いの羽のつもりなのか。アクセス数は86あたりで止まっていたことをやけに覚えている。小学4~5年生の頃の出来事である。

 

 そのPC向けサイトは己の手で閉館したが、味を占めた私はそれからもホームページ作りに励んだ。ナノ」「魔法のiらんど」「フォレスト」「@peps!」「リゼ」といった無料携帯サイトをいくつも駆使し、用途によって使い分けていた。「ポエムを乗せるサイトはこれ」「オリジナルの小説とイラストはこのサイト」「夢小説サイトはここにしよう」といった具合であっちにログインしてみたりこっちでログインしてみたりと、かなり忙しない。

 そして、こういったサイト作り&巡りをしていて、尚且つマンガやアニメを愛好する血が流れている場合、必ずしも辿り着いてしまう世界がある。二次創作サイトだ。私はもれなくそれを閲覧していたし、現に作っていた。そこで何を描き何をしていたか。これに関してはケツが裂けても言えない。ただ、拍手ページや後書きには作者本人が現れてキャラクターに絡むというおぞましい流れは確認済である。

 

 それとは並行して「teacup」という無料ブログサイトで私は日記まで書き綴っていた。パスワードを忘れる度に新しく作り直していたので同じようなものを5件程持っていたと思う。ちなみにさっき上記で話していた各携帯サイトにも「Diary」や「blog」に「MEMO」と「日記」などという項目が存在しているので、少なく見積もってもブログと合わせて同時期に7サイトで同じような話を随時更新している。誰に頼まれたわけでもない。ただ一人勝手に多忙を極めていたのだった。

 

 これだけ並べた上で、さらに上記のものとは別にもう一つ存在する極め付けがある。小説やポエム イラストに漫画 ユーザー同士のメールのやり取り チャット 掲示板 お悩み相談など――。まさに理想としていた「情報の発信」集合体のキッズパーク( 通称:キッパ )というサイトに私は中でもひどくお熱だった。何ならサイトを更新するよりもここに入り浸っていることの方が多かったかもしれない。見ず知らずの同年代の子と交流出来ることはもちろんのこと、ネット上でのマナーを明確に学ぶことが出来たのもこの場所である。私の原点といっても過言ではない。とにかく語るには思い出が多すぎる。情報の発信の自由が全てここにあったのだ。そこに私は、こんなマンガを乗せていた。

 

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桐島、部活やめるってよ」の先駆けである。左に映るコレは野球のバットなのか。立体感を出そうと地味に色を3色程に分けて重ねているのが何ともくすぐったい。ちゃんと描け。そして菅田が野球を辞めることに対して相当な熱が入ってしまったのか「えっ?! 菅田 お前 」から「・・・野球やめんの?!」の間が中々くどい。辞めちまえ。この漫画、野球部員の菅田と女子マネージャーの恋愛漫画だったらしい。ちなみに女子マネはどうしてか校内で白衣を着ている。科学部なのか。

 

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このコマを見た時、己の産物なのに何のシーンなのか理解に苦しんだ。教卓と思わしき物を歪な関節の両腕で叩いているらしい。白衣らしきものに身を包んでいるのでこれは女子マネージャーです。しかし顔が見えない。見えるコマを探してみた。

 

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左手首。

 

といった感じで、当時の私はこの作品をノリノリで描いていた。キッパの治安が良かったからか、どんなものを書いてもコメント欄に批判的な感想が送られることがなかった。むしろ「おもしろいです!」「応援しています!」と言われてしまうものだから、やけに創作意欲が増してしまうのである。これ以外にもたくさんの漫画を描いていたことが確認できたので、当時上げていた漫画の中でも比較的新しいものをもう一つ抜粋してみた。

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  画力が(辛うじて)成長している。線画を黒以外のカラーで描いていることから、デジタルイラストに少々慣れが出てきたのか。まあ小学生がマウスで描いたにしては褒めてあげてもいい出来栄えなのではないだろうか。しかしこの題材には問題しかない。

 

 他にも一枚絵のイラストなどが多数発見された。版権イラストも良しとされていたサイトだったので私のアカウントでも何枚か上がっている。

 

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 苦しいが「最遊記」である。

 この当時 最遊記にドハマりしていた私の絵柄は、作者の峰倉かずやさんの影響を少なからず受けており 男性キャラクターの髪型は揃いも揃って「玄奘三蔵」その人であった。受けているといっても あの端正で綺麗な作画を真似ることはもちろん出来ていない。それがこちら。

 

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殺せ。

 目を凝らすと右上に見える「お前 俺の女になれ」に腸が捻じれる。カレールーを包丁で切った時に出るカスみたいな前髪してんなお前。束になっているあの髪を再現するには三蔵一行と天竺ぐらいは遠かったのか・・・。全然関係ないけれど、この時期 三蔵一行の年齢が20代前半という表記を見て「えっおじさんじゃん・・・もっと若いと思ってた・・・」とショックを受けたことがあった。私はいま悟浄と八戒と同い年の22歳になり、40代俳優を崇拝している。時の流れは少し恐ろしい。

 

 そしてアイタタ小学生だった私は、アイタタ中学生になり、それからも情報の発信をし続けた。しかし終わりの日は突然訪れるものである。

 

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Windows98死。

Yahoo!で「アナルとは」を調べていた時、怪しげなリンクを踏みウィルス感染。相棒を助ける為にこれまで培ってきた知識と経験を総動員して色々試すがそれも適わず、デスクトップにたくさんの悪質で目に悪いポップアップが次々と表示されていく。その光景を見て、私はWindows98がまるで土葬されているような錯覚を覚えた。抵抗を止めて、静かに電源を抜く。父と母には何を調べようとしたのを原因にパソコンを壊したことは言わず、ただ一言「寿命だった」と告げた。インターネット文化というものは進化が早いが、それを蝕もうとするウィルスも進化していたのだった。

 

 私は数年ぶりになるブログの開設に伴い、どうしようもない自分とインターネットとの初めての出会いから終わりの日までをこうして振り返ってみた。クソである。酷くどうでもいいクソの詰め合わせ。いわばクソの掃溜めである。情報を発信したい。そういった欲が生まれて 解消する為に個人サイトやブログ たくさんのクソの掃溜めを作って来た。誰から「発信してよ」と求められたからではない。どれも長続きしたわけでもない。だけれど それは まるで生理現象の様に吐き出したくなって、現代の進化に合わせて形を変えては、いまもピーチクパーチク情報を発信し続けている。それは何故なのか。クソだからである

 

いい言葉で締めたかったけれどクソみたいな言葉しか出ないのでおしまい。

ゴールデンウィークは死んだんだ。