Kuso & Diary

クソエブリディをクソエンジョイするクソ女のクソダイアリー

ひとりぐらし

笑えるぐらい更新が途絶えていてびっくらこいたがな。三日坊主とかの問題ではなく記事が2つで終わっていた当ブログ。すっごいね。継続数見たら1日だった。テメーはもうブログに携わるな。

 

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「まだまだ携わりますよwww」

 

 

そんなことはどうでもええんですがな。今年に入ってから「つらい・・・」という毎日を送っていたから 、思いつきで始めたよく分からんブログの更新が途絶えるのは必然と取れるんだね。しかも趣味通り越してチラシ裏のメモみたいな感じだもの。自分で読み返したいだけさね。

んで 「つらい・・・」の理由は色々あって、何か社会の波に飲まれたりだとか、事件( 内容は伏せる )に巻き込まれたりだとか。それだけでお腹はいっぱいでしたのに、片付かない作業の山や 不慣れな業務、家族関係のゴチャゴチャなんかに追われた。あいや~ 疲れた~。

おかげで年明けからつい先月まで「生理不順」を永遠に味わり 地獄を見た。しばらく男がいないのを察した下腹部が「創業24年 さよなら感謝祭」を最後に閉店でもしたのかと心配したし、2か月来なかった時に関しては「待てよ 野良犬にでもやられたか?」と自分のお腹を労わった。

このとんでも疲労からなる生理不順。最近になって終わりを迎えたが、今度は生理不順からバトンを受け取ったシラカバ花粉が「あとは任せろ」とコーナーで差をつけてわたしをぶっ殺しに来たんですわ。結果として毎日体調は優れないし、窓を開けて寝た朝なんかは廃人起床だし、外では花粉にもみくちゃにされ、鼻水は止まらん 咳は出る クシャミも出るの三拍子。目の縁にあるピンク色した肉を掻き毟り過ぎて 3Dの様に飛び出した。ワンダホー。

 

時系列は戻り、疲労にも不順にも負けず 来る今年3月。

ちゃんめい、とうとう念願の一人暮らしを達成したわい

( パンパカパーン パフパフッ )

 

札幌の1LDKで家賃は4.5万。

  • リビング8畳
  • 寝室6畳
  • キッチン2畳
  • 脱衣所
  • 洗面所
  • エアコン
  • 出窓
  • 光回線
  • 灯油ストーブ
  • 駐車場 格安
  • プロパンガス

という最高物件に住みました。木造なので壁は薄い気もするが 最近はもう慣れた。

事あるごとにSNSなどで「家を出るぞ」「一人で暮らすんだぞ」と騒いでいた私であるが 実現までが長かったので「また口だけか・・・」と思われていたことでしょう。ほほほ。しつこく目を血走らせて家出宣言を唱え続けていたのは、実家にある私の自室として宛がわれた部屋が一因だった。何を隠そう 私の部屋は仏壇の間に宛がわれたものだったのだ。

 

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当時、私は高校生。高校受験を前に勉強していた妹と2人部屋で生活していたが、生活リズムなどもあるし、大きくなった姉妹 ( 姉は横幅 ) が10年近くも同じ部屋にというのはいささか狭い。ということから、姉妹は大晦日の大掃除と共に 相部屋から開放されることになった。

しかし我が家は3LDKの一軒家。2階は姉妹の相部屋と両親の寝室。1階は仏壇の間しか残っていない。どうするか。そう悩む前に 父と母が「下に来い」と私を選抜。仏壇の間は リビングと引き戸一枚で繋がっている洋室だったので、テレビの音から犬の鳴き声 家族の談笑、その全てがダイレクトに貫通する。受験勉強する妹に あまり適していないのは分かるし、私も部屋が別れるという目先に吊るされたニンジンに2つ返事でオッケーした。

 

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だって喉から手が出るだけ 自分のプライベートな空間を欲していたし とにかく心の底から飢えていた。特に 当時アイタタJKだったわたしは動画サイトの生放送配信者だったので、妹のいない時を見計らってコソコソ「今日も見に来てくれてありがとう~」とか言って 視聴者から囲いをされていたし、そんな姿を見られるのも 聞かれるのも無くなったし、音楽をかけるのも ゲームをするのも テレビを見るのも 気を遣わなくてよし。

仏壇の間。されど自分だけの部屋。そう思っている内は良かったけれど、完全自由な空間を得た妹とは対照的に、わたしは家具の配置をしようにも 二つ置かれた仏壇

 ( 細かく説明すると仏壇は一つだけ。その他に 部屋の角に大きな棚が置かれていて そこの2段目に親戚の仏壇スペースがあった。この棚の下段に家族の荷物とかクリスマスツリーの箱とか色々収納されていて、リビングに持っていくには大きすぎたので、つい去年までずっと部屋に佇んでいたのです。 )

があったので、言い方はとても悪いが それがことごとく邪魔。

それプラス、仏壇の間は 壁にクローゼットがあるタイプの部屋で、リビングと繋がる引き戸も 一辺の壁をほぼ全て制していた。

 

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「引き戸ばっかりやん?」

 

となってくると、4面ある壁のうちの2面( その内1面には全面的に窓がある )だけがフリーウォールで、家具が置けるスペースはあまりにも限られている。クローゼットの前に本棚を置いたら クローゼットの物が取れなくなるし、ドアの前も 出入り出来んから同じくダメ。いい場所は仏壇×2に取られている。

結果として「前より狭くないかァ・・・?」と頭を抱えることになるが「せっかく両親が与えてくれた部屋ですし」と思い直す。

ちなみに部屋にはじいちゃんとばあちゃんと遺影が飾ってあって、部屋の文句を言う度に「いやじいちゃんとばあちゃんが悪いってわけではなくて・・・」と謝っていた。

2人の遺影は窓の向かいなのもあり いつも日光を私に向かって反射してくるので カーテンはよく反対だけ閉めることもあったなあ。部屋でムダ毛処理をしている時 ふと顔を上げると目が合うし、太腿を掻きながらベッドに寝転がっていると目が合うし、就寝しようと灯りを消すも「何だか寝付けないなあ」なんてボケーっとしている内に目が冴えてくると 暗闇の中からでも目が合う。

 

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2階にいた時は分からなかったけれど、やっぱりリビングの音がまあうるさい。

逆もそうらしく、友達との電話、作業イプ、 オンラインゲームのボイチャをすれば「うるせえ!」と怒られるわ、家族の中で仏壇の間の認識が強すぎる故に 部屋の引き戸はノックもなしにガラガラと開けられる日は 指折り数えきれない。

そして悲しく恥ずかしいことに、親とリビングで喧嘩をした時に「もういいわ!」とドスドスと逃げ帰る先が2階ではなく 隣の仏壇の間というのはかなりネックで「何だ今の口の利き方はァー!」と数秒後に引き戸がこじ開けられる

 

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そんな感じで派手な扱いをされ続けた引き戸は どんどん閉まりが悪くなり、何もしていないのに 何故か少しずつ開くようになった。さっき閉めたのに、どこからか光が差していることに気づき 後ろを振り向くと 引き戸に隙間が。プライベートな空間とはいったい。彼氏を連れて来ても 隙間から見える父の姿にいつもモヤモヤした。 

話せば尽きないが、お盆時期とかはお坊さんが私の部屋に入りお経ライブを行うし、毎度 その人に部屋をいじられる。スマイルプリキュアのフィギュアを飾っていた日にゃ「これね うちの孫娘が好きなのよ」アレ言うの止めてほしいかったよ。なあ?

 

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そういうことがあり、私の10代はじいちゃんとばあちゃんとの相部屋のまま終わったので、家を出たい欲は日に日に膨れ上がる。そして、家を出る暁には 生活費がギリギリになろうとも「広い部屋」に住むと決意した。親に対して「もっと広い家を買ってくれやい」とか そういう文句はないが、そういう矛先は好きな様に部屋をアレンジしてプライベート確保していた妹に向いてしまって、羨ましく 憎たらしく思うことは まあ何度もあったのでした。

学生から続けていたバイト先を辞めて いまの職場に就職させて頂いてから「念願の夢を叶えられんじゃん!」と、入社すぐに「1年かけて50万は貯金する」と豪語していたが、まあ出ること 出ること 支払いの山。

  • クレジットカード4社
  • 生命保険
  • 自動車保険
  • 車のローン
  • iPhone8plusのローン
  • 通信費
  • 家に入れる生活費
  • etc・・・

出費の雪崩がスゲーってばよ・・・。

とは言いつつ 手元には毎月3万ぐらいは残っていたけど まあ散財。結局 貯金は出来ずその年から貰えるようになった夏&冬のボーナスを元手に家を探すことになった。夢の生活は、家族には申し訳ないけれどかなり充実している。

「人間は10代で得られなかったものを求める」と何かのツイートで最近見たんだけど、まさにその通りだと思う。面倒臭がりだけれど、全てを自分がしなくちゃいけない生活は意外と苦ではない。光熱費の節約、食費を1万自炊、kbe( ms嫌いなので文字も打ちたくない )の一匹すら見たくないので 徹底としたゴミ捨て&ゴミ管理など、何となく頑張っています。

 

まあ、要は遊びにきてねって話でした♡

 

 

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あちゃ目

 

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わたしは小さい頃、目を寄り目やあちゃ目にすることで、見ている光景が二つに重なる( 複視 )ことを「人や物が二つ見える」「多分これ 自分以外には誰も出来ない」「選ばれた者にしかできない」「天才児」という感じで飛躍に飛躍を重ねたまま履き違えてしまう時期があった。

 

 

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( ※ これが複視 )

 

 

今でも「特技:複視」と書けてしまうぐらい あちゃ目を使いこなしていた当時の私は、客観的に見て 自分の目があっちこっち飛んでいることなどつゆ知らず。自分の両指を見て「20本ある」とかやっていたし、母と話している最中に突然あちゃ目になり「いま  お母さんを2人にさせちゃったけど?」とか言っていた。頭いかれちゃってますけど?

こうなってくると、さすがの母も 腹を痛めて産んだ娘の飛んで行った黒目の行方と、数々の奇行を心配して「あんた あちゃ目をするのは止めなさい!」と口酸っぱく言うようになったが、私はそれをあちゃ目と呼ぶことも、天才児しか使えないこの技が複視であることも、「自分だけが出来る」のではなく「みんな出来るけど みんなしない」ということも 頑なに信じなかった。

 

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そしてしばらくしない内に、治らない&止めないあちゃ目の娘は 母によって眼科へ連れていかれた。

お医者さんに何を言われたか詳しいことは忘れたが、お医者さんの前でも鼻高々に複視を披露して笑われたこと、それはやってはいけないことだと説明を受けたのは覚えている。しかし 自分が天才児でなかったことには 不思議とショックを受けなかった。当時のわたしには、こんな風にお医者さんに面と向かって「それは ( 天才児とは ) 違うよ」と否定されても、まだまだ天才児ストックのある女児だったからである。

 

 

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結果から言えば、その「天才児ストック」と呼ばれるアイタタ特技等は、その後 成長と共にあちゃ目と同じような形で全部粉砕されてしまい、天才児なんかではなかッたという話。しってたしってた。

チーズで出来た脂肪が服を着て歩く

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性欲 睡眠欲と並ぶ三大欲求の一つである食欲

 

そこまでこだわりがないから適当に済ませたり、胃がみちみちになるまで過食しないと満足しなかったり、肥えた舌に合ったものでなければいけなかったり、その満たし方は人それぞれだ。

所謂「みんなちがって、みんないい」というアレ。

 

私は、食に対して ただならぬ熱い情熱と 少年のような冒険心を持つタイプの一人である

 

決められたレシピ通りに作るのではなく、意外性のある食材なんかを組み合わせた時に生まれる未知なる発見や、ほんの少しのひと工夫や手間を加えて

 

「これとこれを合わせるとこんなに美味しいんだ」

 

なんて楽しみながら自らの手でグレードアップした料理を味わいたい。それが私の食欲の満たし方である。

 

 しかし、この熱い情熱と少年のような冒険心は、己を殺す一因にしか過ぎないものであった。

 

 幼少期の頃からとろけるチーズが大好物だった私は、グラタンやドリア  ピザにラザニアといったチーズ無しでは現在の地位を確立できなかったであろうチーズ料理たちを愛するチーズ信者だった。

 

モッツアレラやカマンベールはとろけるチーズとはまた別枠としてとても好んでいたが、ベビーチーズスモークチーズを「とろけないチーズ」「まがいもの」というぞんざいな扱いをするチーズ信者の風上にも置けないアンチでもあった。牛さんに謝れ。

 

今は飲み屋や友人宅で酒のつまみとして出てきた時だけ食べれるようにはなっている。

 

そんなとろけるチーズ無しでは生きられない私は、小学3年生の頃 とある料理に没頭していた。

 

 

 皿に盛ったとろけるチーズを電子レンジで溶かす

それだけの一品である。

 

 

 

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 何を調味料をかけるわけでも、何か入れるわけでも、そこに食材をくぐらせるわけでもない。ただチーズを溶かしてフォークで食べる。

 

この料理の醍醐味は、一つ一つ形になっているチーズが 電子レンジの熱でふつふつと煮え滾るまでの調理光景をガラス戸越しに眺めることにある。

 

とろけるチーズが一番美味しく見えるシーンに「茶色い焦げ目が付きはじめる」「とろ~っと伸びる」といくつか候補が上がる中、私は「チーズの溶けていく様」をとにかく推していた。

 

 それを原点に、チーズ料理が私の冒険心に灯を付け始める。インスタントラーメン  カレー  野菜スープ  目玉焼き  トースト。幼いながらに自分の手で調理できる範囲内の料理に、とにかく溢れんばかりのチーズをトッピングした。

 

チーズを溶かすだけの一品は派生に派生を広げ、いつしか親にチーズを取り上げられ、冷凍庫の奥深くに隠されるといった事態にまで発展する。

 

当時は実感がなかったが、私はチーズ過剰摂取により小学生の平均体重を優に超えていた。

 

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 この後すぐ、地元の小さな会館で週に一回行われていた「体操スクール」なるものに私は通うことになる。

 

鉄棒や跳び箱 マット運動に柔軟体操 ドッチボール 冬にはスキー 夏には一泊二日のキャンプ行事。

 

動くことが大の苦手だった今と変わらない当時の私が、そんな試練のようなラインナップを前にして、二つ返事ですら「いいよ」などと言えるわけがなかった。

 

しかし「お前の仲のいい友だちはそこに通っているよ」「終わったら会館の自販機でミロを買ってもいいよ」というニンジンを目と鼻の先に釣らされた私は「それだったら・・・」とOKを出したという。

 

 とにかく体を動かしてスラリとした女の子になりますように。そう切に願った母は、体操スクールにあっさり通うようになった娘のチョロさに付け込み、それと並行して同じく週に一回「ピープル」と呼ばれるコナミのスイミング教室にも通わせることを割と勝手に決めてしまった。

 

友達どころか知っている子が誰も通っていないし、行きも帰りも一人で送迎バスに乗らなくてはいけない。別に泳ぎたくない。ピープルなんかに行きたくない。そう駄々をこねる私を見かねて、母は

 

プールが終わったらこのお金でジムのアイスを買って帰って来ていいよ

 

と100円玉と10円玉を何枚か持たせるようになった。

 

私は再び「それだったら・・・」とOKを出したという。チョロい、チョロいぞ。水中での運動量がパーだぞ。

 

 この時期は、運動によるカロリー消費にプラスして転校によるストレスが重なっていたらしく、謎のとんでも腹痛や真っ黒い吐瀉物を吐くようになっていたが、おかげでいくらか取り戻したスタイル。

 

背の順で並ぶと後ろから2番目あたりだった私は、それなりにスラリと伸びた足を「お前 いい脚してるな」と父に褒められたり、母の友人からは「めいちゃん 菊川怜に似ているね」なんていう有り難いお言葉まで頂けるようになった。「痩せてるタレントの人に似てるって言われちゃった」と少し嬉しかった。

 

ちなみに父に体のパーツを褒められたことはこれっきりである。

 

しかし痩せた人間の首に食らい付こうとするリバウンドという名の獣がすぐそこまで迫っているのだが・・・。

 

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勝てなかったよ・・・。

 私はそれからも着実に肥えていき、長い道のりの中で幾千ものダイエットにチャレンジしては幾万ものリバウンドを繰り返した。

 

豆腐やワカメなどの低カロリー食品を主食にしてみたり  炭水化物を抜いてみたり  一日の一食をダイエットドリンクやサラダに置き換えてみたり  食事を6時間の内に済ませてみたり  夕飯を18時までに済ませてみたり  食べたものとカロリーを書き連ねてみたり。

 

ダイエット器具も買い揃えたが ダイエットを頑張る人の元の養子として旅立って行った。

 

 きっと22歳になった今も、チーズで出来た脂肪はこの体のどこかに残っているだろう。そんな私は先月エアロバイクを購入し、今もダイエットを続けている。

クソの掃溜めをいくつも作っている

 

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 5つか6つぐらいの頃、我が家にWindows98なるパソコンがやってきた。

 

 新品で購入した物だったのか、中古のものだったのか、貰いものだったのか、パーツを寄せ集めて作ったのか。どういう経緯で入手したものなのかは聞いたことはなかったので知らないが、ある日家に帰ると居間の隅に腰を下ろしていたのである。誰だお前は。

 

 今でこそスマートフォンに触れ合うようになり、掲示板で知り合った素性もよく分からない人間にツムツムのハートを送り続ける母(50歳)ではあるが、12年前の当時 このパソコンを使いこなせていたのだろうか。少なくとも幼少期の私の目にはパソコンと触れ合う姿というものは映っていなかったように思う。

 しかし、そんな母とは対照的に分厚いディスプレイを凝視しながら向き合う男が一人。昭和をそのまま切り取ったような頑固者の雷親父は、母より機械に滅法疎く 付属している説明書にまず目を通さない。思うように動かない機械は故障と疑ってかかる典型的な機械音痴の父を、夕飯時の「ご飯できたよ」の一声にすら風林火山と化してしまう程に夢中にさせていたのは一体何か。特段勿体ぶる様なものでもない。フリーゲームです。

 

 Windowsのスタートボタンをクリックするとフォルダやソフトの一覧がズラリと並ぶ中に、メモ帳やペイントなどが入ったアクセサリフォルダ。そこに潜んでいるフリーソフトに父は虜になっていた。ゾウやリスが出て来るエアーホッケーのゲームなんかはきっと覚えている人がいるのではないだろうか。( 今でも遊べるよ )

 こんなマウスを激しく動かすものは当時の父にも今の父にも到底遊べない代物である。専ら花札かボーリング。焼酎の水割りをデスクに置いて煙草を深く吸いながらカチッカチッと遊び込む姿は何というかメッチャ渋くてメッチャ大人であった。そして、最初こそアウェー過ぎる家電としての認知しかなかったパソコンに 全く興味を示さなかった私は、父によってゲームが出来る機械なのだと気付かされ「何だよお前 スゲーいいやつじゃん」となってしまったのだ。チョロい、チョロいぞ。

 

  Windows98が家にやって来るより少し前に、父の知り合いからゲームボーイスーパーファミコンのおさがりを貰っていた私は、「外遊び」より「ゲーム」が右上がりになりつつある不健康予備軍のキッズなゲーマーとしての道を着実に歩んでいた。

 元より女子脳より男子脳が活発だったので、冒険やバトルの類なんかにビシーッと来るものがあったのかもしれない。ちなみに 小学2年生の頃には、集英社週刊少年ジャンプで連載されていた「シャーマンキング」の9巻を表紙買いする事態にまで至っている。今考えると男子脳というよりは少し早い女オタク脳の開花でした。 

 

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 余談だが、当時の私は現代語で言う所の道蓮(タオ・レン)くん推しだった。「道」という字を「タオ」と認知するぐらいには推していた。ただ、9巻だけ買ってしまって話の前後が分からないという気持ちが強く、理解力も乏しかったのでとにかくストーリーが入ってこない。でもおもしろい。でもかっここい。気になる。といった結果、毎月1冊ずつ 8巻 7巻 6巻...と古いものを購入していく「逆走買い」というものがこの頃から発症している。この読み方のせいで未だに1巻から9巻のストーリー展開の流れなどがひどく曖昧だが、体からウジが沸いている「拷問兄弟」というキョンシーは今でも鮮明に覚えている。それにしても毛利小五郎の娘を彷彿とさせる髪型だね。

 

 だからパソコンに興味を持ったという話に繋がるのか何なのか。とにかくこの様に色んなものに向けていた好奇心を私はパソコンという未知なる機械に一斉射撃した。誰に教えてもらうわけでもなく、ドラックやダブルクリックといったマウスの操作方法やソフトの開き方、閉じ方、メモ帳を起動して文字の打ち方を練習してみたり、ペイントとフリーゲームで就寝までの時間を過ごすようになる。キーボードの上にイレギュラーに散らばるひらがなの一字一字を目と指で追う時間は、文字を書くよりも楽しい。そして同時に、インターネットというものが使えることを知るのはすぐのことだった。

  「検索」といった言葉が何と読むのか 何を意味しているのかなど分からなかったが、何となく好きなキャラクターの名前やゲームのタイトルを打ち込んでみれば、ディスプレイに広がるのはその言葉通りの画像と情報の花畑。まさに「おったまげーーー!」という感じ。インターネットすごい。とってもグローバル。任天堂のホームページでゲームの紹介を読んだり 画像を見漁ったり 「ぱんぞう屋」というサイトでゲームを遊び尽くす毎日。

 

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  インターネット分化というものも進化が早く、子ども心を虜にしてしまうようなものが出るわ出るわ。まだYouTubeニコニコ動画もない時代だったが、フラッシュ動画と呼ばれるものが大きなムードメントを起こしていた。大人になると「何がおもしろかったんだ」と思うものも多いけれど、小さい時はお腹抱えてゲラゲラ笑ったものである。FLASH黄金時代だからね 仕方ないね。ゲラリストなので今でも笑える。

 

 

 今でこそホラーとビックリの類が大の苦手だが、この頃は怖いもの知らずなのかホラーフラッシュを見尽す奇行をやって遂げる女だった。中でも「赤い部屋」なんかはインターネットに基づいたストーリーだったのもあり、ポップアップ広告というリアリティが恐怖を掻き立て来るのでとにかくメッチャおっかない。最後に本当に「あなたは好きですかと出た時なんかは「消したら死ぬかも」なんてマジで思ったりもした。

 これを頼んでもいないのにリアルに再現してくれる「赤い部屋 完全版」というものもあって、広告を消すと作中同様死んだ人間の名前がズラーーーッと出る忠実な仕様。ブラウザを閉じるバツボタンもないので「これどうやって消えんのかな・・・」と不安に駆られていると、不意に画面いっぱいに怖い女の人の画像が表示されるという小学生殺しにかなり涙したものである。

 この日「Ctrl」+「Alt」+「Delete」の3つのキーが救ってくれたことをきっかけに、私は強制終了という技を会得した。

 

 

 楽しいものに触れたり 怖い経験を重ねながらネット文化に慣れ親しむにつれて、私は次第に「情報の発信」というものに興味を持ち始めた。アイタタなポエムをノートに散らしたり、アイタタなイラストマンガを100均ノートに描くアイタタ小学生だった私は、とにかく「これを誰かに見せなきゃ」と思っていたのだ。誰にだよ。しかしそこはインターネット。アイタタな人間がアイタタな産物を発信して何が悪いのか。現にアイタタな大人たちがアイタタな作品を展示していた。 「 みんな投稿しているから私も・・・」見よう見まねで無料ホームページを開設してみるとそこは思いの外未知の領域。なにこれ。簡単に作れるって書いてたじゃねえか。理想とはかけ離れた初期ページに戸惑いを隠し切れないが、情報の発信という欲が私を高める。幼いながらにHTMLを調べながら頑張って作ってみたが、出来上がったのは

 

✝貴女は○○人目の天の使い✝

 

中二病がフルアクセルなアクセスカウンタのついたアイタタホームページだった。背景は黒色リアルタッチで描かれた神々しい羽のイラスト( サイトが貸し出しているフリー背景素材 ) が散りばめられている。サイトには同じくきらびやかに光った十字架や真珠の画像が点々としており、プロフィールの性別表記には「性別上は女子」というアイタタ女子がやってしまう地味~~~に痛寒い一言もバッチリ添えてあった。サイズの間違ったリンクバナーも作ってあったし、もちろん羽も散っている。それはさっきから何の羽毛なのか。天の使いの羽のつもりなのか。アクセス数は86あたりで止まっていたことをやけに覚えている。小学4~5年生の頃の出来事である。

 

 そのPC向けサイトは己の手で閉館したが、味を占めた私はそれからもホームページ作りに励んだ。ナノ」「魔法のiらんど」「フォレスト」「@peps!」「リゼ」といった無料携帯サイトをいくつも駆使し、用途によって使い分けていた。「ポエムを乗せるサイトはこれ」「オリジナルの小説とイラストはこのサイト」「夢小説サイトはここにしよう」といった具合であっちにログインしてみたりこっちでログインしてみたりと、かなり忙しない。

 そして、こういったサイト作り&巡りをしていて、尚且つマンガやアニメを愛好する血が流れている場合、必ずしも辿り着いてしまう世界がある。二次創作サイトだ。私はもれなくそれを閲覧していたし、現に作っていた。そこで何を描き何をしていたか。これに関してはケツが裂けても言えない。ただ、拍手ページや後書きには作者本人が現れてキャラクターに絡むというおぞましい流れは確認済である。

 

 それとは並行して「teacup」という無料ブログサイトで私は日記まで書き綴っていた。パスワードを忘れる度に新しく作り直していたので同じようなものを5件程持っていたと思う。ちなみにさっき上記で話していた各携帯サイトにも「Diary」や「blog」に「MEMO」と「日記」などという項目が存在しているので、少なく見積もってもブログと合わせて同時期に7サイトで同じような話を随時更新している。誰に頼まれたわけでもない。ただ一人勝手に多忙を極めていたのだった。

 

 これだけ並べた上で、さらに上記のものとは別にもう一つ存在する極め付けがある。小説やポエム イラストに漫画 ユーザー同士のメールのやり取り チャット 掲示板 お悩み相談など――。まさに理想としていた「情報の発信」集合体のキッズパーク( 通称:キッパ )というサイトに私は中でもひどくお熱だった。何ならサイトを更新するよりもここに入り浸っていることの方が多かったかもしれない。見ず知らずの同年代の子と交流出来ることはもちろんのこと、ネット上でのマナーを明確に学ぶことが出来たのもこの場所である。私の原点といっても過言ではない。とにかく語るには思い出が多すぎる。情報の発信の自由が全てここにあったのだ。そこに私は、こんなマンガを乗せていた。

 

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桐島、部活やめるってよ」の先駆けである。左に映るコレは野球のバットなのか。立体感を出そうと地味に色を3色程に分けて重ねているのが何ともくすぐったい。ちゃんと描け。そして菅田が野球を辞めることに対して相当な熱が入ってしまったのか「えっ?! 菅田 お前 」から「・・・野球やめんの?!」の間が中々くどい。辞めちまえ。この漫画、野球部員の菅田と女子マネージャーの恋愛漫画だったらしい。ちなみに女子マネはどうしてか校内で白衣を着ている。科学部なのか。

 

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このコマを見た時、己の産物なのに何のシーンなのか理解に苦しんだ。教卓と思わしき物を歪な関節の両腕で叩いているらしい。白衣らしきものに身を包んでいるのでこれは女子マネージャーです。しかし顔が見えない。見えるコマを探してみた。

 

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左手首。

 

といった感じで、当時の私はこの作品をノリノリで描いていた。キッパの治安が良かったからか、どんなものを書いてもコメント欄に批判的な感想が送られることがなかった。むしろ「おもしろいです!」「応援しています!」と言われてしまうものだから、やけに創作意欲が増してしまうのである。これ以外にもたくさんの漫画を描いていたことが確認できたので、当時上げていた漫画の中でも比較的新しいものをもう一つ抜粋してみた。

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  画力が(辛うじて)成長している。線画を黒以外のカラーで描いていることから、デジタルイラストに少々慣れが出てきたのか。まあ小学生がマウスで描いたにしては褒めてあげてもいい出来栄えなのではないだろうか。しかしこの題材には問題しかない。

 

 他にも一枚絵のイラストなどが多数発見された。版権イラストも良しとされていたサイトだったので私のアカウントでも何枚か上がっている。

 

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 苦しいが「最遊記」である。

 この当時 最遊記にドハマりしていた私の絵柄は、作者の峰倉かずやさんの影響を少なからず受けており 男性キャラクターの髪型は揃いも揃って「玄奘三蔵」その人であった。受けているといっても あの端正で綺麗な作画を真似ることはもちろん出来ていない。それがこちら。

 

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殺せ。

 目を凝らすと右上に見える「お前 俺の女になれ」に腸が捻じれる。カレールーを包丁で切った時に出るカスみたいな前髪してんなお前。束になっているあの髪を再現するには三蔵一行と天竺ぐらいは遠かったのか・・・。全然関係ないけれど、この時期 三蔵一行の年齢が20代前半という表記を見て「えっおじさんじゃん・・・もっと若いと思ってた・・・」とショックを受けたことがあった。私はいま悟浄と八戒と同い年の22歳になり、40代俳優を崇拝している。時の流れは少し恐ろしい。

 

 そしてアイタタ小学生だった私は、アイタタ中学生になり、それからも情報の発信をし続けた。しかし終わりの日は突然訪れるものである。

 

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Windows98死。

Yahoo!で「アナルとは」を調べていた時、怪しげなリンクを踏みウィルス感染。相棒を助ける為にこれまで培ってきた知識と経験を総動員して色々試すがそれも適わず、デスクトップにたくさんの悪質で目に悪いポップアップが次々と表示されていく。その光景を見て、私はWindows98がまるで土葬されているような錯覚を覚えた。抵抗を止めて、静かに電源を抜く。父と母には何を調べようとしたのを原因にパソコンを壊したことは言わず、ただ一言「寿命だった」と告げた。インターネット文化というものは進化が早いが、それを蝕もうとするウィルスも進化していたのだった。

 

 私は数年ぶりになるブログの開設に伴い、どうしようもない自分とインターネットとの初めての出会いから終わりの日までをこうして振り返ってみた。クソである。酷くどうでもいいクソの詰め合わせ。いわばクソの掃溜めである。情報を発信したい。そういった欲が生まれて 解消する為に個人サイトやブログ たくさんのクソの掃溜めを作って来た。誰から「発信してよ」と求められたからではない。どれも長続きしたわけでもない。だけれど それは まるで生理現象の様に吐き出したくなって、現代の進化に合わせて形を変えては、いまもピーチクパーチク情報を発信し続けている。それは何故なのか。クソだからである

 

いい言葉で締めたかったけれどクソみたいな言葉しか出ないのでおしまい。

ゴールデンウィークは死んだんだ。